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お年寄りの団体がいた。
五人か六人、いやもっといたかもしれない。
六十代から七十代の女性たちの団体は、若い女の団体よりも、声は大きく、しかも人に聞かれてはまずそうな会話を、へっちゃらで聞かせてくれる。
その内容、まるで午前中の主婦向けバラエティのような、典型的な〟嫁姑問題″で、周囲半径五メートルくらいに響きわたっていたから、私は断じて盗み聞きしたわけじゃない。
「あらま、ウチの嫁なんか―」「あら、ウチは―」「その点、ウチなんか―」と、相手の話を受けずに、全員がいきなり〟自分のウチの事情″で話をつなぐのがこの人たちの特徴らしい。
「女も歳をとると、声と自己主張がやたら大きくなる」と誰かが言っていたのを、思い出す。
一見にぎやかで楽しそうだけど、内容はかなりエグ-、自分もやはりこうなるのだろうかと思って、ちょっと暗くなった。
別に〟かぶりつき″で、その〟ありそうでなかなか見られない光景″を見ていたわけではないので、しばら-気がつかなかったのだが、その中に、さっきロビーで私の目を惹いたそのご婦人がいる。
わけもな-気になって、その人の「ウチはねエ」話に耳を傾けたが、その人はいつまでたっても声は出さない。
時折、ニコニコとやさしく微笑んだり、うなずいたり、それだけだ。
すると突然その中のひとりが「先生のお宅は、お幸せだから―」と〟その人″に話をふる。
先生?その人は、お茶かお花かの先生で、他のにぎやかな女性たちは、その弟子らしかった。
「いいえ、そんなこと―。
でもウチは息子夫婦が仲がいいから、安心です」とだけ、その人は答えた。
同じ話題にふれず、でもみんなの話のコシをくじくこともな-、さり気な-かわす術。
なんだか、長く生きているほど決定的になってしまう、〟女の質″の違いというものを見せつけられた気がした。
そして、その人が遠-からでも私の目をとらえた理由がハッキリわかった。
マザー・テレサの百分の一にも充たないかもしれないが、やっぱりそれもオーラだったのだろう。
平凡だけれど、正しく清潔に穏やかな生活を送る人が放つ〟小さなオーラ″。
別に福祉活動なんかしていなくっても、そういう穏やかな顔をしているだけで、人は神にわずかながらでも近づくのである。
そしてその時は、白い光が全身を照らすのかもしれない。
人には二回、オーラを発するチャンスが来る。
若さや美しさや自信が自ら放つ〟発散するオーラ″と、歳をとって人生の終末に近づいた時に、静かに発光する〟美しい魂のオーラ″ 。
誰にでも、この二つのオーラを放つ資格はあるのだ。
そのチャンスをどちらも逃さないようにすること。
あるいはそれが、女が一生美しくありつづける究極のコツなのかもしれない。
夜の報道番組で、恒例の街頭インタビューを今日も見ていた。
あれを見る限りでは、みんな立派。
社会の動向をしっかりと見ていて、新聞をこまめに読んでいなければ出てこない政治経済の専門用語がスラスラ出てくる上に、何よりも自分の意見をしっかりと持っている。
もしも自分が街でいきなりマイクとカメラを向けられたら、「い、いそいでますので―」とかなんとか言って、カメラに映らないように腰をかがめたりして(それでも映ってしまうのに)みっともなく逃げ出してしまうのだろう。
ああ困った―などと、これを見るといつもひとり憂うつになっていたのだが、実際に放映されるのは、全体の十分の一程度で、本当は腰をかがめて逃げる人も少なくないのだという。
それにしても、あの一人ほんの数十秒の割り当てしかないインタビュー場面ほど、人間の本質を露骨に残酷に見せつけてしまうものもない。
答えはもとより、質問の意図さえわからずにボー然とする人も多いらしいが、知識のあるなしではなく、逃げる逃げないでもなく、その時、たったひと言でもなんと言うかに、何よりどんな声でなんと言うかに、その人のすべてが凝縮されているように思うのだ。
特に女性の場合は、その人が決定的に美しいか否かが、その瞬間に決まってしまうと思うのだ。
ある晩の街頭インタビューには、女性がたてつづけに登場した。
次々に映し出される顔と答えをずっと見つづけていた私は、ある瞬間ハッとする。
なぜだか突然、『女は顔じゃない、声だ!』と心で叫んでしまったのである。
繰り返すが、画面に登場する人は、選り抜かれた優秀な回答者。
それぞれにきちんとした答えを持っている。
しかも一連の総会屋関連の利益供与事件に関しての質問だったから、全員がそうした企業の体質をあたりまえのように批判する。
条件は同じなのだ。
なのに、中に1人、飛び抜けて美しい女性を発見する。
ほんの数秒だったが、私は忘れない。
三十代前くらい、主婦がお買いものに出た感じ。
そして、顔はふつう。
次々に映し出される顔の中でも、もっと美しい女性はいたはずだ。
なのに一体なぜ彼女なのか。
その女性は、完壁な声と言葉をもっていたのだ。
ボンボンボンと、顔をいくつも見せられたからわかることなのだが、その時私はハッキリ悟る。
声の美人は、顔の美人をラクラク超えてしまうということを。
高すぎず低すぎず、しかし奥ゆきがあって、バリもあり、濡れているようにみずみずしい声。
でも、声だけなら、彼女はちょっと声のキレイなふつうのひと。
彼女はその声でこう言ったのだ。
「あり得ないことですけれども、もしもわたし自身がその立場にあったら、果たして突っぱねることができただろうか、と思うことがあるんですよね」悪いことをしでかした人を悪いとののしることは誰でもできる。
しかし、彼女のこの言葉には、事態の本質を鋭く見つめた上での、新たな問題提起が含まれていた。
問題は、個人というより腐敗した企業体質そのものにあり、その腐敗は誰もがタブー視してきた日本の根深い社会問題であることを、こんな身近なわかりやすい言葉でスッととっさにコメントできるなんて、ふつうの女性じゃない。
しかもあのような美しい魅力的な声で。
どうか想像してみてほしい。
私はなんだかほれぼれした。
カッコイイともステキとも美しいとも思った。
企業に行って、女性社員の言葉の教育にたずさわり、本人もナレーターとして活躍する女性は、私が行きついた〟声美人は絶対だ!″というメカニズムの成り立ちをこう説明してくれた。
極端な話、声が美しかろうがしゃがれていようがいい。
女性にとってもっとも大切なのは、生活する上でいちばん基本的な言葉を、どれだけていねいに心をこめて発することができるか、ここなのだと。
人は言葉。
生活態度はもちろん、人生どう生きていくかも、この基本の言葉の発し方に出てきてしまう。
で、その基本とは何か。
「おはよう」であり、「ありがとう」であり、「ごめんなさい」、「さようなら」である。
もう三百六十五日使う言葉だから、言い古されて心が通わな-なるのがふつう。
だからこそ、そこに心をこめられるか否かが、その人の価値を決めてしまうのだと。
そして、ていねいに心をこめると、自然と声がおなかから出てきて、奥ゆきもありバリもある美しい声になってしまうの、とも彼女は言った。
さらに彼女は、驚くべきデータを見せて-れた。
それは「美しい声の持ち主は、姿形も美しかった」という調査結果で、数十人の女性たちを〟声の美しさ″だけで判断した順位と、見た目から-る〟美しい印象″の順位が、ほぼ一致してしまう事実を伝えていた。
声の美しい順に、姿形も美しいなんて、ちょっと信じ難いこと。
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